隣人 Neighbors   ( 2015 )

 

 私が住んでいるアパートの住人は、皆、一人暮らしだ。確か、そうだった気がする。

皆一人暮らしだから、きっと生活のリズムもバラバラで、顔を合わせることなんて無

いだろうし、深く関わる必要も無いよなと、越して来た時に挨拶をしてまわったりも

しなかった。どうせ私も直ぐに出て行くと。そのせいで、同じアパートに住んでいる

人の事を、私は未だ、何も知らない。どの部屋が埋まっていてどの部屋が空いている

のかも、あれから何人出て行って、何人入って来たのかも。知っている事と言えば、

101号室が石橋さんである事と、隣の部屋が髭面で四十代前後の男性だという事。後は、

たまに聞こえる物音から、真上に人がいるらしい、という事くらいだ。しかし、石橋

さんの顔は一度も観た事が無いし、隣の髭面を最後に見たのは半年ほど前でディテー

ルは忘れた。真上の物音は、ネズミだったりして。いや、この前、子供の声がした。

…一人じゃ無いのか。こんなに狭い部屋で。それと、つい最近、二階の女性と挨拶を交

わした。お互い会釈だけ。声は出していない。多分、三十代。何号室かまでは見なかっ

た。

 

 表札に名前が無かったり部屋番号が擦れていたりするのも悪いのだが、とにかく、

私は彼らについて、何も知らない。知ろうともしない。無知だ。他の住人も、私に

興味など無いだろう。知らなくても、困らないのだから。

 

                                                                                                                         2015 . 7

 この作品は、ある個人や集団について、外側から知る

ことの出来る情報は極限られており、私たちは周囲に

居る人々や自分を取り巻く環境に付いて、多くの場合、無知に等しいのではないか、という私自身の疑問から

生まれた。

それを実際に私が住んでいるアパートに置き換え、その住人には一切触れずに外側だけをあらゆる角度から観察する事によって、「外側」の無意味さと「内側」の重要さ、「共に生きている」人々についての無知を問うものである。

 

 

This work originates in my question that the information concerning a person or a group available to us from outside is limited, and therefore we are often almost ignorant of them. I take up my apartment where I live now as my objects this time, and then I’d like to pose the meaninglessness of ‘outside’ and the importance of ‘inside’ and also the ignorance of residents ‘living together’ by observing the objects from every angle without touching upon the residents.

 

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